【レビュー】サーキット走行歴20年の男が今さら「湾岸ミッドナイト」を読んでみた感想【ネタバレなし】

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「湾岸ミッドナイト」という作品の存在は、当然ながら昔から知っていた。私が高校生だった頃、雑誌で連載されていた本作は、クルマ好きの同級生たちの間で自然と話題になっていた。しかし、当時の私は本作に興味がなく、読むことはなかった。社会人となり、サーキットを走るようになってからは、本作を勧められる機会も徐々に減っていった。

それでも、同年代のクルマ好きとの会話の中に「湾岸ミッドナイト」の影がちらつくことがあり、気になっていたのは事実である。そんな中、旧友から「全巻貸すよ」と言われたことがきっかけで、ようやく読む決心がついた。

この記事では、モータースポーツ歴20年、サーキット走行一筋で生きてきた筆者が、「湾岸ミッドナイト」というチューニングカー&公道バトル漫画を読んで感じたことを率直に綴る。レース経験者の視点で語る感想は、一般的なレビューとは少し違うものになっているだろう。ネタバレ無しで構成しているため、まだ読んでいない方も安心して参考にしてほしい。

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走りを引退した人にはオススメできる(かも?)

主人公・朝倉アキオが「悪魔のZ」と呼ばれるS30フェアレディZに乗り、首都高でバトルを繰り広げるのが本作の基本構成である。アキオを追い続けるポルシェ・ブラックバードとの対決や、Zに魅せられた挑戦者たちの人間模様が軸となっている。

特筆すべきは、主役よりもゲストの挑戦者たちが“主役的な立ち回り”をする構成である。登場人物の多くがかつて走りに夢中だった「出戻り組」や、これから走りにのめり込もうとする若者たちで構成されている点が印象的だった。

しかし、20年以上サーキット走行を続けている私にとっては、彼らの葛藤や決断に共感することは難しかった。むしろ、一度走りを引退した人や、かつてチューニングカーに乗っていた人には、心に刺さる作品だと思う。

アキオという主人公にはシンパシーを感じた

挑戦者たちには共感しにくかった一方で、主人公のアキオには強くシンパシーを感じた。作中で「変わっている」と評される彼の言動は、私にとってはむしろ自然で理解しやすいものだった。

特に共鳴したのは、「勝ち負けへのこだわりが薄い」という点である。私自身、レースにおいても結果より過程を重視してきた。勝っても満たされないし、負けても納得できる走りができれば満足である。アキオの「走る理由」が何かを探るためである点も、私と通じるものがあると思った。

ネットミーム大量生成漫画

湾岸ミッドナイトを語る上で欠かせないのが、クルマにまつわる“ポエム”である。最初は正直、鼻につく表現が多く「厨二臭い」とすら感じた。しかし、読み進めるうちにそれが味わい深くなり、作品の魅力の大部分を占めていることに気づいた。

こうした名言の数々は、現在SNSなどでも頻繁にミームとして拡散されている。ネット文化とクルマ文化が交差するこの作品は、ミームを通じて新たなファン層を獲得しているのだろう。

若者には勧めたくない

作中では、自動車の開発史やチューニング論が頻繁に登場する。クルマ好きであれば、こうした知識欲をくすぐられる構成は歓迎されるだろう。しかし、これを若者への“入門書”とするのは勧められない。

限られた予算と時間を投資するなら、整備の基礎やレース理論を学べる実用書や専門誌にあたるべきである。よって、私は湾岸ミッドナイトを高校生や大学生に積極的に勧めることはしない。

お気に入りエピソード3選

イシダ編(悪魔のZ復活編) 単行本1巻~3巻

Z復活にまつわるストーリー。Zというクルマの不気味さ、走りの危険性、登場人物の覚悟が非常に強く描かれていた。最初にして最大のインパクトを持つエピソードだと思う。

城島編(幻のFC編) 単行本20巻~24巻

通称「幻のFC編」。挑戦者と主人公がチューニングで共犯関係となっていく異様な構図が魅力的である。アキオが初めて主人公として活躍したエピソードでもある。

マコト編(幻のF1タービン編) 単行本29巻~33巻

唯一の女性挑戦者。Z32という不遇な車種にフォーカスが当てられた点が個人的には嬉しかった。女性キャラとしてのマコトより、Z32という選択に好感を抱いた。

お気に入りポエム2選

第37巻「爪を研ぐ②」より

0から起こした自分自身の1

0から1を生み出す偉業の重要性と、1を2に進化させる意義の両方を肯定する姿勢が印象的だった。背景の理解なしに進化はない、という視点は、モータースポーツにも通じる哲学である。

第36巻「SKIL(技術)⑤」より

「走るコトでストレスが生まれるのなら、それはお前の圧が、その行為に負けているだけ。走ることで生じるストレスは走ることでしか解決しない。」

ストレスを走りでしか解決できないという主張は、非常に共感できる。サーキットに出ることでしか得られない解放感があるからこそ、走り続ける意味があると思った。

湾岸ミッドナイトは“走りの哲学書”

本作を読んで改めて感じたのは、「湾岸ミッドナイト」は決して走り屋を美化する作品ではないという点である。むしろ、その危うさや葛藤、精神性を描くことで“走るとは何か”を問い続ける哲学書のような印象を受けた。

サーキットを走る者、公道バトルを好む者、それぞれの立場は異なる。しかし、「なぜ走るのか」という根源的な問いに向き合う姿勢には、共通するものがあると強く感じた。

ただし、作中で行われている公道バトルは違法行為に他ならない。この作品を読んで「なぜ走るのか」と向き合いたくなった場合は、公道ではなくサーキットで向き合ってもらいたい。

当ブログではモータースポーツの始め方や楽しみ方を幅広く紹介しているので、他の記事を参考にして是非モータースポーツの世界に踏み込んでもらいたい。

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