「湾岸ミッドナイト」という作品は、もちろん昔から知っていた。雑誌で連載していた頃、私はちょうど高校生くらいだった。当時、クルマ好きの同級生たちは当然のように読んでいて、私にも勧めてくれた。しかし、読むことはなかった。社会人になり、サーキットを走り始めてからは、勧められることもなくなった。ただ、クルマ好きの同年代との会話の中には、「湾岸ミッドナイト」を元ネタにしたと思われるやりとりが少なくなかった。その影響もあり、前々から読みたいと思いつつも、なかなか読む機会に恵まれなかった。そんな中、友人が全巻貸してくれるというので、思い切って読むことにした。
この記事では、サーキットレース一筋で走ってきた男が、チューニングカー&公道バトル漫画を読んで感じたことを語る。おそらく珍しいパターンの感想になっていると思うので、最後まで読んでほしい。また、ネタバレ無しの内容であるため、まだ読んだことのない方は、読むかどうかの判断材料にしてもらいたい。
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走りを引退した人にはオススメできる(かも?)
まず、湾岸ミッドナイトのストーリーをネタバレにならない程度で説明しよう。主人公は朝倉アキオという18歳の青年である。ひょんなことから手に入れた「悪魔のZ」と呼ばれる日産・フェアレディZ(S30型)で首都高速道路を走り出す。物語は主人公と「悪魔のZ」を追い続けるポルシェ(通称ブラックバード)との対決を軸に、「悪魔のZ」に引き寄せられるかのように現れる挑戦者たちの人間模様を描いた作品。
この作品の独特なところは、主人公的な立ち回りを主人公ではなく、ゲストで登場する挑戦者たちが担う点である。さまざまな境遇の挑戦者が登場するが、この挑戦者たちに私は感情移入できなかった。前半に登場するのは基本的に「出戻り組」であり、後半は若者にフォーカスされることが多い。しかし、一度走るのをやめた人の気持ちを、20年間サーキットを走ってきた私が理解できるわけもなく、さらに若者に感情移入するには年を取りすぎていた。もしかすると、かつて改造車に乗った経験がある人、サーキットを走っていて引退した人には刺さるものがあるのかもしれないと思う。
アキオという主人公にはシンパシーを感じた
ゲスト挑戦者たちには感情移入できなかったものの、なぜか主人公の朝倉アキオにはシンパシーを感じてしまった。作中でも、周りの登場人物から不思議な言動や行動が多いと言われるアキオ。そんなアキオの言動や行動だけはスッと理解できる自分がいた。具体的には、“走る”という行為への向き合い方が似ていると感じた。特に、勝ち負けに対するこだわりがないところや、走る理由が“何か”を知りたいからといった点である。レースをやっていて勝ち負けにこだわりがないと言うと、負けても満足する甘いヤツと思われがちだが、勝っても満たされない場合が往々にある。要するに、“走り”をやめる理由も発生しない。首都高バトルというアングラな舞台で走り続ける主人公の解像度としては、非常に高いといえる。だからこそ、アキオ寄りの物語ではないのが非常に勿体ないと思ってしまった。
ネットミーム大量生成漫画
湾岸ミッドナイトは、クルマにまつわるポエムがとにかく多い。序盤は鬱陶しいと思ったものの、中盤以降は自然と受け入れていた自分がいた。むしろ、このポエムが湾岸ミッドナイトの魅力の9割を支えていると言っても過言ではない。この記事の後半では、私の心に刺さったポエムも紹介するので、最後まで読んでもらいたい。さらに言えば、このポエム集はネタにされ、ネットミーム化されている。SNS大好き人間である私にとって、数々のネットミームの元ネタを知ることができたのは、有意義だったと言える。
若者には勧めたくない
ポエムに続いて多いのがクルマ語りである。自動車の歴史、チューニングの歴史、開発秘話など、クルマ好きが好みそうなクルマ語りが後半戦に増えた印象だ。そんなクルマ語りを聞いていると、昔、誰かと会話したときにドヤ顔で語られた記憶があるような内容も出てきて、あの人の持っていた知識の元は湾岸ミッドナイトだったのかもしれないと気づくことがあった。クルマの知識が少ない高校生や大学生がクルマを勉強するための教材として、湾岸ミッドナイトは最適なのではないかと思うこともあった。しかし、よくよく考えると、湾岸ミッドナイトを読むためにかけるお金があるなら、専門書や雑誌にお金をかけたほうが100倍意味のあるものになるだろう。よって、私は湾岸ミッドナイトを若者に勧めることは絶対にしない。
お気に入りエピソード3選
イシダ編(悪魔のZ復活編) 単行本1巻~3巻
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序盤のエピソードがその漫画におけるベストエピソードになるパターンは往々にあるが、今回もそのパターンに当てはまった。悪魔のZの不気味さと魅力が作中で最も際立っており、挑戦者側の覚悟も最も重く、首都高バトルが危険な行為であることも最も描かれているのがこのイシダ編である。ポエムも作者が楽しんで書いていることが伝わってきて、読んでいるこちらが恥ずかしくなるほどだ。読んでいる最中は「気持ち悪い」と思っていたが、全巻読み終えて振り返ると微笑ましく思えてきた。高校の時に「序盤はつまらないけど、そこを乗り切れば面白い」と言って勧めてきた友人は、俺のことをわかっていなかったなと思う。しかし、若い時に読んでいたら感想もまた違っていただろうとも思う。
城島編(幻のFC編) 単行本20巻~24巻
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『湾岸ミッドナイト』という作品は不思議な作品で、主人公と挑戦者がお互いに相手のクルマのチューニングを手助けすることが多い。首都高バトルなどと呼ばれているが、作中でバトルらしいシーンはほとんどない。バトル相手やライバルというよりは、共に首都高を走る仲間……メンバー……と言った言葉もしっくりこない。しっくりくるのは共犯者だろう。その共犯者っぷりが城島はぶっちぎりで良かった。良かったというのは狂っているという意味だ。そもそも挑戦者に共感できないなら、理解できないほどの人間性を持っていた方が読んでいて面白い。作中で唯一、主人公のアキオが主人公的な立ち回りをしたのもこの城島編である。
マコト編(幻のF1タービン編) 単行本29巻~33巻
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『湾岸ミッドナイト』の登場人物はとにかく男が多い。しかもオッサン率高めだ。そんな男だらけの挑戦者の中で唯一の女性だったのがマコトである。挑戦者を除けば女性の登場人物は数人いる。一番好きな女性キャラはアキオの学校の先生だったが、いつからかぱったり登場しなくなり、俺はがっかりした。マコト編がお気に入りなのに、女性キャラであることは実は関係ない。理由はフォーカスが当たった車種がZ32だったことだ。他の走り屋漫画やクルマ好きと会話していても全く話題に上がらないZ32にスポットを当ててくれたことが、ただただ嬉しかった。ただそれだけだ。ん?F1タービンのくだり?個人的には興味がわかず、読み飛ばした。
お気に入りポエム2選
第37巻「爪を研ぐ②」より「0から起こした自分自身の1」
一般的に、0から1を作るのは偉業で、1を2にするのは難しいことではないという風潮があるが、『湾岸ミッドナイト』の作中では少し違う解釈となっていた。0から1を起こすのはすごいことだけれども、1を2にすることも馬鹿にはしていない。1を2にするためには、0から1を起こした背景や理由をしっかりと理解する必要がある。そうやって進化させた2や3を持っている人間は、0から自分自身の1を起こすこともできる。私はこのセリフをそう解釈した。
モータースポーツをやっている人と会話した時に、誰かから見聞きした1を語る人、自分自身で起こした1を語る人、そして誰かから見聞きした1を自分自身で2に昇華して語る人では、言葉の説得力が段違いになる。私自身も、自分自身の1や2で語れるように努めたいと改めて思った次第である。
第36巻「SKIL(技術)⑤」より「走るコトでストレスが生まれるのなら、それはお前の圧が、その行為に負けているだけ。走ることで生じるストレスは走ることでしか解決しない。」
クルマでスポーツ走行を行うと、意外なほどストレスが生じる。それは万が一の事故やクラッシュへの恐怖心であったり、ラップタイムや成績を上げなければいけないという周囲からの期待であったり、短い時間でクルマのセットアップを仕上げなければいけないというプレッシャーだったりと様々だ。しかし、それらの様々な圧(ストレスやプレッシャー)に、走っている最中に負けるようなら、走るのをやめる時だと作中では語られている。
モーターレーシングの世界を描いた『capeta(カペタ)』という作品でも、似たようなことが語られていた。レース前の様々なプレッシャーに晒されても、マシンに乗り込みコースに出た時が唯一プレッシャーから解放される時として描かれていた。個人的に、この「解放」という言葉がしっくり来なかったのだが、『湾岸ミッドナイト』では圧と圧がバランスする表現がされていて、こちらのほうが感覚的にしっくりくる。周囲からの圧力に対抗するには、自分自身の圧力を上げてバランスするしかない。その圧力を上げる手段が、走るという行為なのだと。私もレース前は様々な圧で押しつぶされそうになるが、コースインするとうまくバランスする。よって、まだ引退の時ではないと確信した。
モタナビ中の人の“走り屋”に対してのスタンス
『湾岸ミッドナイト』などの、いわゆる“走り屋”を主人公にした漫画の作中で行われていることは、言ってしまえば違法行為だ。絶対にやってはいけない行為であることは、念を押しておきたい。それを理解したうえで“走り”続けている人を、私は否定も肯定もしない。ただし、そんな人とは今後も出会うことはないと思う。なぜなら、自分が“走り屋”であることを公言している時点で、違法行為であることを理解していない証拠だからだ。理解できていない“走り屋”に対しては、全力で否定するし軽蔑する。誰にも知られることなく、誰とも群れることなく、走りと向き合い続けている人にのみ、最上級のリスペクトを!
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